行きたい場所
2005年7月25日夏になると、「行きたいなぁ」って思ってくる場所がたくさんある。
水族館とか、緑のきれいな高原とか、花火大会とか、あとはいろんなところでやってるイベントものとか。
東京も学生の頃は通ってたし、今だってすごくたくさん行ってるけど、名所とか有名な場所には全くといっていいほど行ったことがなく、行ってみたいんだよねぇ。例えば東京タワーとか、都庁とか、代々木公園とか、池袋サンシャインシティとか、お台場フジテレビ付近とか。
行ってみたいと思うところって1人では行きにくい場所で、けどあたしは実際誘う人がいないんだよなぁ。
改めて友達がいないと思う。
気軽に誘える気心知れた人がいないというか。
「あの人だったら気を使って辛いかも」「あの人はあたしとじゃ、逆に嫌かも・・・?」とかね。
行った時のシュミレーションまで想像して、諦める。
1つずつ消していく。
親友はお金関係で行けないだろうしな。
それでいろんなことたくさん断わられていて、もうなんだかどこも誘えない。
実際彼女と行けばどこでも楽しそうだけど、お金がからむから悪くて誘えない。
気軽に「飲みいこうぜぃ!」ってなってすぐそのまま集れる人とか、全くいないんだよ。
改めて自分の行動力とか、生きてきて選んだ道、その都度悩んだ時々を後悔しているんだよ。
正直なところ。
こんなだから駄目だ。
友達いなくて行きたいとこもろくに行けない。
1人で動いてばっか。
休みはいっつも約束は無し。
とてもフリー。自由なんだよ。
やりたい事だってなんだってできるし、好きな時に起きればいいし、連絡する相手もいないし、束縛する相手もされることもない。
とても自由でいいけど、時に寂しくなる。
けど、それを選んで生きてきたのは自分。
昨日の夜寝る前になんだか空想で、自分が人前に立つ側のなんらかの人物になりきってみた。
けど、そこに立っていてもどこに行っても、あたしは周りの人から自分は劣っていて、ものすごく劣等感にかられていた。
どこにいっても劣等感は消えないのかと。
何をしても、いつまで経っても自信がもてないのかと。
そんなことを思い泣きそうになりながら眠った。
バカみたい。
かわいいあの子がご懐妊なさってた。
前々から体調が悪そうだったから、「もしかしてそろそろ?」と思っていたらビンゴ。
お腹に触らせてもらうと、なんだか「かわいい!」って言葉が生まれた。
寛恕の細い身体に3ヶ月ほどの命が宿っていて、不思議だった。
いつも不思議で終わる気持ちが、そんなまだすごく短い命に「かわいい!」って思ったのは初めてだ。
赤ちゃんはかわいい。
本当にかわいい。
嬉しいし、かわいいよなぁ。
そうやってみんな家族を作っていくのだね。
それが人間の「族」かぁ。
生まれて間もない赤ちゃんを抱きたい。
あの愛しさを、いつしか自分のものにできるのだろうか?
あたしは他人を愛せるのかと。
コミュニケーションに想いを馳せている。
言葉でいくら言ったって、実行できてなくちゃ意味が無い。
その前に、実行する相手がいない。
周りの人、みんな幸せになって欲しいけど、大事で大事でいつもそばに感じていたい人なんて、今のあたしにはいないよ。
みんなそれぞれ私の知らないところで幸せであってくれればいいっていう。
なんだかすごく適当な人みたいだけど、本当にそうは思っている。
ただ、あたしにはその人たちを幸せにできる術がないから、だからそれぞれ幸せになってくれればいっていう。
あたしには誰かを幸せに、生活の中の何かひとつでも潤せることが、何ひとつ見つからない。
そうしたかったのに、なにひとつみつからないまま、できないまま死ぬのかな。
ただただ憧れるだけで、ただただそう行った人たちを眺めるだけで、実際なにがしたいかわかんなくて、時は確実に死に向っているよ。
生まれた時から終わりはあって、けど生まれた時はみんな喜んでくれて、それだけで私は幸せなことだけど、今を考えればなんだかこんな自分で周りに申し訳なくて、本当は消えたいって思ってくる。
いっそ消してしまって無かったことにしてくれって思ってくる。
けど、痛みとか喜びとか、あたしも生きた人間だから感じちゃって、それがなんだか悔しいし申し訳ない。
生まれた命に申し訳ない。
宇宙にいるのにさ、繋がってて、あたしもその中から生まれたのにさ、過去にも未来にも宇宙の裏側にも繋がってるのに行けなくてさ、なんだかもうやるせないよ。
誰かの心に自分の存在を置きたい。
それが少しでも自分自信を認められることであれば、もっと窓を開けるべきだ。
そしてもっと歩いて、動くべきだ。
今だってきっと、いつも思うけど自分が死んだら悲しくて泣く人はいるけど、生活に困る人はいないよ。
それで自分の存在意義を測るのはどうかと思うけど、けど実際全くもっていないよ。そんな人は。
それ程あたしは人との関わりがなく、怠り、遠ざけてきたんだ。
今、それによって「こうだったらいいのに、こうだったらよかったのに」って思うこと、全部この自分のせいで、本当ごめんなさい。
起こる自分と謝る自分と、それをもう消してしまえよと思う自分がいる。
そして夜になると、おかしな空想が頭の中を駆け巡り、誰かが降ってきて止めてくれるまで、手を差し延べてくれるまで、止まないんだよ。
その誰かは、きっと実際助けてくれはしないよ。
あたしの心のよりどころ。
あたしの名を呼ぶ声も、きっといつか聞こえなくなる。
名前なんて消えてしまう。
忘れてしまう。
このまま忘れられて、自分自身ですら忘れて、振り向くことも目覚めることもなくなるんだよ。
行きたいところにも誰とも行けずにさ。
水族館とか、緑のきれいな高原とか、花火大会とか、あとはいろんなところでやってるイベントものとか。
東京も学生の頃は通ってたし、今だってすごくたくさん行ってるけど、名所とか有名な場所には全くといっていいほど行ったことがなく、行ってみたいんだよねぇ。例えば東京タワーとか、都庁とか、代々木公園とか、池袋サンシャインシティとか、お台場フジテレビ付近とか。
行ってみたいと思うところって1人では行きにくい場所で、けどあたしは実際誘う人がいないんだよなぁ。
改めて友達がいないと思う。
気軽に誘える気心知れた人がいないというか。
「あの人だったら気を使って辛いかも」「あの人はあたしとじゃ、逆に嫌かも・・・?」とかね。
行った時のシュミレーションまで想像して、諦める。
1つずつ消していく。
親友はお金関係で行けないだろうしな。
それでいろんなことたくさん断わられていて、もうなんだかどこも誘えない。
実際彼女と行けばどこでも楽しそうだけど、お金がからむから悪くて誘えない。
気軽に「飲みいこうぜぃ!」ってなってすぐそのまま集れる人とか、全くいないんだよ。
改めて自分の行動力とか、生きてきて選んだ道、その都度悩んだ時々を後悔しているんだよ。
正直なところ。
こんなだから駄目だ。
友達いなくて行きたいとこもろくに行けない。
1人で動いてばっか。
休みはいっつも約束は無し。
とてもフリー。自由なんだよ。
やりたい事だってなんだってできるし、好きな時に起きればいいし、連絡する相手もいないし、束縛する相手もされることもない。
とても自由でいいけど、時に寂しくなる。
けど、それを選んで生きてきたのは自分。
昨日の夜寝る前になんだか空想で、自分が人前に立つ側のなんらかの人物になりきってみた。
けど、そこに立っていてもどこに行っても、あたしは周りの人から自分は劣っていて、ものすごく劣等感にかられていた。
どこにいっても劣等感は消えないのかと。
何をしても、いつまで経っても自信がもてないのかと。
そんなことを思い泣きそうになりながら眠った。
バカみたい。
かわいいあの子がご懐妊なさってた。
前々から体調が悪そうだったから、「もしかしてそろそろ?」と思っていたらビンゴ。
お腹に触らせてもらうと、なんだか「かわいい!」って言葉が生まれた。
寛恕の細い身体に3ヶ月ほどの命が宿っていて、不思議だった。
いつも不思議で終わる気持ちが、そんなまだすごく短い命に「かわいい!」って思ったのは初めてだ。
赤ちゃんはかわいい。
本当にかわいい。
嬉しいし、かわいいよなぁ。
そうやってみんな家族を作っていくのだね。
それが人間の「族」かぁ。
生まれて間もない赤ちゃんを抱きたい。
あの愛しさを、いつしか自分のものにできるのだろうか?
あたしは他人を愛せるのかと。
コミュニケーションに想いを馳せている。
言葉でいくら言ったって、実行できてなくちゃ意味が無い。
その前に、実行する相手がいない。
周りの人、みんな幸せになって欲しいけど、大事で大事でいつもそばに感じていたい人なんて、今のあたしにはいないよ。
みんなそれぞれ私の知らないところで幸せであってくれればいいっていう。
なんだかすごく適当な人みたいだけど、本当にそうは思っている。
ただ、あたしにはその人たちを幸せにできる術がないから、だからそれぞれ幸せになってくれればいっていう。
あたしには誰かを幸せに、生活の中の何かひとつでも潤せることが、何ひとつ見つからない。
そうしたかったのに、なにひとつみつからないまま、できないまま死ぬのかな。
ただただ憧れるだけで、ただただそう行った人たちを眺めるだけで、実際なにがしたいかわかんなくて、時は確実に死に向っているよ。
生まれた時から終わりはあって、けど生まれた時はみんな喜んでくれて、それだけで私は幸せなことだけど、今を考えればなんだかこんな自分で周りに申し訳なくて、本当は消えたいって思ってくる。
いっそ消してしまって無かったことにしてくれって思ってくる。
けど、痛みとか喜びとか、あたしも生きた人間だから感じちゃって、それがなんだか悔しいし申し訳ない。
生まれた命に申し訳ない。
宇宙にいるのにさ、繋がってて、あたしもその中から生まれたのにさ、過去にも未来にも宇宙の裏側にも繋がってるのに行けなくてさ、なんだかもうやるせないよ。
誰かの心に自分の存在を置きたい。
それが少しでも自分自信を認められることであれば、もっと窓を開けるべきだ。
そしてもっと歩いて、動くべきだ。
今だってきっと、いつも思うけど自分が死んだら悲しくて泣く人はいるけど、生活に困る人はいないよ。
それで自分の存在意義を測るのはどうかと思うけど、けど実際全くもっていないよ。そんな人は。
それ程あたしは人との関わりがなく、怠り、遠ざけてきたんだ。
今、それによって「こうだったらいいのに、こうだったらよかったのに」って思うこと、全部この自分のせいで、本当ごめんなさい。
起こる自分と謝る自分と、それをもう消してしまえよと思う自分がいる。
そして夜になると、おかしな空想が頭の中を駆け巡り、誰かが降ってきて止めてくれるまで、手を差し延べてくれるまで、止まないんだよ。
その誰かは、きっと実際助けてくれはしないよ。
あたしの心のよりどころ。
あたしの名を呼ぶ声も、きっといつか聞こえなくなる。
名前なんて消えてしまう。
忘れてしまう。
このまま忘れられて、自分自身ですら忘れて、振り向くことも目覚めることもなくなるんだよ。
行きたいところにも誰とも行けずにさ。
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