記憶
2005年6月24日なくなってしまったけど、今でも愛されるもの。
人の記憶に残るもの。
記憶で人は生かされてる?
記憶とは何か、考えたんだ。
楽しかった記憶、それは自分の力となり、明日を動かす勇気にもなる。
悔しかったことも悲しかったことも同様、他にはどこかへいったこと、そこで感じたこと、覚えてること、記憶が今までの自分を示していて、それがある意味誇りというか、証になっていて、今生きている証拠として残って様な物の気がした。
そのおかげで人と話ができたり、自信がもてたり、生きるのに必要不可欠なモノなのか。
だが、人は失う記憶もある。
覚えていないことも多くある。
そういった記憶は、これから生きるのにとって不必要なことだから忘れてしまうのだろうか?
だから失われる物もあるのか?
全てを覚えているとしたら、頭の中の引き出しがいっぱいで整理しきれなくなる。
だから、今、少しのこれから自分にとってイらないと思われた記憶は消されていくのだろうか?
記憶はこれからを生きるためのものなら、そのような答えが出てきた。
だから年を重ねて行くうちに、長くは無いから記憶が消えていくのか?
これからを生きる「これから」っていうのが短いから?
消えてるわけではなく、失っていくのではなく、たぶん思い出す引き出しが見つけにくん場所に行くのである気もするんだ。
だって思いもよらない昔に見た夢を、なんでもないときに急にフッと思い出したりすることがある。
それはやっぱり消えておらず、脳の奥底に閉まってあるからか?
そうかもしれない。
全ての感覚を最大限に生かされて生きてきた身体は、脳に全て直結に記憶されている。
そして、閉まってある記憶がふとした拍子にきっと現れるんだ。
だから年を重ねても、記憶を失うわけではなく、記憶がしまいこんである引き出しを捜す能力が衰えてしまうだけなのかと。
死ぬ時はきっと胎児の頃まで記憶は戻るんだ。
そして魂だけ肉体から出るのかな?
まぁとにかく、命が存在、ようは母親の体内に生まれついた時から、記憶は始まっていると思う。
だってそこまで記憶は戻るもの。
あるもの。
そこから生きているんだもの。
素晴らしい。
人の記憶に残るもの。
記憶で人は生かされてる?
記憶とは何か、考えたんだ。
楽しかった記憶、それは自分の力となり、明日を動かす勇気にもなる。
悔しかったことも悲しかったことも同様、他にはどこかへいったこと、そこで感じたこと、覚えてること、記憶が今までの自分を示していて、それがある意味誇りというか、証になっていて、今生きている証拠として残って様な物の気がした。
そのおかげで人と話ができたり、自信がもてたり、生きるのに必要不可欠なモノなのか。
だが、人は失う記憶もある。
覚えていないことも多くある。
そういった記憶は、これから生きるのにとって不必要なことだから忘れてしまうのだろうか?
だから失われる物もあるのか?
全てを覚えているとしたら、頭の中の引き出しがいっぱいで整理しきれなくなる。
だから、今、少しのこれから自分にとってイらないと思われた記憶は消されていくのだろうか?
記憶はこれからを生きるためのものなら、そのような答えが出てきた。
だから年を重ねて行くうちに、長くは無いから記憶が消えていくのか?
これからを生きる「これから」っていうのが短いから?
消えてるわけではなく、失っていくのではなく、たぶん思い出す引き出しが見つけにくん場所に行くのである気もするんだ。
だって思いもよらない昔に見た夢を、なんでもないときに急にフッと思い出したりすることがある。
それはやっぱり消えておらず、脳の奥底に閉まってあるからか?
そうかもしれない。
全ての感覚を最大限に生かされて生きてきた身体は、脳に全て直結に記憶されている。
そして、閉まってある記憶がふとした拍子にきっと現れるんだ。
だから年を重ねても、記憶を失うわけではなく、記憶がしまいこんである引き出しを捜す能力が衰えてしまうだけなのかと。
死ぬ時はきっと胎児の頃まで記憶は戻るんだ。
そして魂だけ肉体から出るのかな?
まぁとにかく、命が存在、ようは母親の体内に生まれついた時から、記憶は始まっていると思う。
だってそこまで記憶は戻るもの。
あるもの。
そこから生きているんだもの。
素晴らしい。
コメント