思ったこと。

2005年5月22日
楽しいことはこの時がずっと続くことはないと刹那を感じるのに、悲しいことはこの時がずっと続くのかもしれないと感じる。
悲しみは明けることがないかもしれない、そこにはこの感情がなくなるという切なさはない。
なぜだろう。
楽しい時はずっと続くことはないと思っているのに、悲しい時はずっと続くというか残って消えることがないのは、命が永遠ではないから?

悲しみがなければ、痛みを覚えなければ、人はどんどん忘れてしまう?
成長をしなくなってしまう?
思いやりなんて気付かずに死んでいく?

考えても答えは出なくて、でも楽しい時は切なさを感じるのに悲しいことは続く気がしてしまうことに理由を見つけたくてならない。
いつまでも続かない命だからこそ、存在理由を知りたくて、見つけたくて、確信が欲しくて、だけど自分一人を見つめているだけじゃ何も見えてこなくて、人の気持ちが知りたくて、人の心に触れたくて、入り込みたくて、忘れないで欲しくて、願わくば少しでもあたしの存在で動かしたい。

増える欲望は生きている証拠なのに、生まれる欲望を自分で否定して壊すのは、自分自身を否定して殺していることだ。
楽しい時に刹那を感じたっていい。
それを楽しめばいい。
悲しみは否が応でも必ず訪れる。
生まれて生きているものだから。

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